旬感ブログ

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映画「パブリック 図書館の奇跡」試写会&トークイベント

「パブリック 図書館の奇跡」のオンライン試写会に参加しました。

オンラインとはいえ、試写会に参加するのはいつぶりだろうか…新作映画に出会えるのはやっぱり嬉しいものですね!!

そして、こうやってちょこちょこ感想書けるのも、また嬉し。

日常が戻ってきたって感じ!!

とは言え、まだまだ油断できない…どころか感染者数は増えているし、もう自己防衛しか道はない…みたいな状況だし(涙)

個人としては今まで以上に、用心して、真面目に予防しないとなって感じの毎日ですね~

 

 

映画概要

eiga.com

オハイオ州シンシナティ公共図書館のワンフロアが約70人のホームレスたちに占拠された。記録的な大寒波の影響により、市の緊急シェルターがいっぱいで彼らの行き場がなくなってしまったのだ。彼らの苦境を察した図書館員スチュアートは図書館の出入り口を封鎖するなどし、立てこもったホームレスたちと行動をともにする。スチュアートにとってそれは、避難場所を求める平和的なデモのつもりだった。しかし、政治的イメージアップをねらう検察官やメディアのセンセーショナルな報道により、スチュアートは心に問題を抱えた危険な容疑者に仕立てられてしまう。

 

製作、監督、脚本は、主演を務めたエミリオ・エステベス

この映画がきっかけで大好きになりましたよ!!その話はまた後ほど。

 

トークイベント

認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長の大西 連氏をゲストに迎えたトークイベント。対談相手は、映画ジャーナリストの立田敦子氏。ここでは、大西氏の言葉を中心に、メモ程度に読んで頂ければ…。

 

図書館の存在意義

劇中?に「図書館は民主主義の柱である」という言葉があったが、図書館には、本を借りる以外にも、

ネットにアクセスできる等、お金の有る無しに関わらず誰でも情報にアクセスできる場である。

日本でも、自宅では勉強できない子供が図書館で勉強したり、インターネットで検索したり、利用されていて、本を読んでサポートセンターに相談に来てくれる人もいる。この映画は、その図書館の多様な役割に焦点を当てている。

 

誰もの近くにある貧困

真面目にコツコツ働いていれば、マイホームが購入できて、定年後は悠々自適の生活がという時代ではない。それは皆が感じており、誰もがそのリスクを感じている。

私の周りには貧困に陥っている人はいないと思っている人も多いと思うが、実際には確実にいる。単純に見た目ではわからない人が増えている。

 

メディアの存在

この映画では「図書館占拠騒動」をセンセーショナルに取り上げるメディアの存在も映している。

メディアの影響力は大きく、功罪どちらもある。

ワーキングプア」「ネットカフェ難民」という言葉は、メディアが作り出した言葉であり、これまで埋もれていた貧困問題を可視化されるようになった点は成果。

その一方で、メディアは常により過激でセンセーショナルな映像を求めている。

(実際、大西さんもよく聞かれるとのこと)

より過激で、センセーショナルなものも探せばいくらでもあるだろうが、それは決してマジョリティーではなく、ほんの一部にすぎない。結果的に、現実から離れていってしまうという悪い側面がある。

センセーショナルな映像は、わかりやすいが、視聴者は、「それくらい困っていないと貧困じゃないんだ」「まだ貧困じゃないんだ」と思ってしまう。

人々に理解されるために報じてほしいのに、無理解のまま、理解されない場合が多い。

また、自己責任論で断罪しないためにも、清廉潔白な貧困を描きがちになる。変に隠してみえないようにして報じてしまう。それは我々も気を付けないといけないと思っているがなかなか難しい。そういったことが結果的に自己責任論を強化している側面もあり悩ましい。

自己責任と支え…その狭間、塩梅がなかなか~清廉潔白な人間なんて貧困であってもそうでなくてもいないじゃないですか?←うーん、わかるな~

 

この映画の視点

ホームレスと施設側(追い出す側)という対立を描くだけでなく、主人公のスチュアートの視点を通してその中立を描いている点がこの映画のポイント。どちらの視点も感じられるという作り。

 

日本の現状

この映画には、元ホームレスのセカンドチャンスも描かれている。

日本では、職業訓練にしろ勉強にしろ、法的に費用のかからない仕組みが弱い。(ない訳ではないが…)

まずは、自分で働いて自立して、話はそれから…となってしまうので、正直、世知辛い。

そのことが、貧困層とそうではない人との分断をより強くしている側面がある。階層の行き来が非常に乏しく、両者の接点ができにくい点が日本の特徴。

考えてみれば、同じ会社で働く人の中にも、実は奨学金を返済している人、非正規雇用の人…等実は様々な人がいるのに、その両者の視点を持つものが圧倒的に足りないため、貧困がより見えにくくなってしまっている。

 

最後に…

本作は、ユニークで平和的なラストシーンが印象的であり、そのことが逆に、抗議の意思をより明確にしていると思う。

非暴力で声を上げること。

声を上げることは非常に大事で、声をあげないと、その問題すらなかったことになってしまう。気づいてもらない。

「わたしたちはここにいるよ」

存在を知ったら、人は無視できなくなる。(無視をしたら、なんで無視したの?となる)

 

行政や支配をしている人たちにも是非見てもらいたい作品。

それぞれの立場で、困っている人には何ができるか、困っている人のことを考えてほしい。

貧困ということばは、貧しいかつ”困っている”状況で、この”困っている”という点が非常に重要。

手を差し伸べる人がいない、孤立が大きな問題となっている。

苦しくて困っている人になにができるか、苦しい時は支え合おうねという空気ができてほしいと願っている。

 

多くの人は、私に出来ることなんてないと思うかもしれないが、ちょっとした一言やアイコンタクト一つでも勇気づけられることを知ってほしい。

 

活動家と聞くとなんだか、社会への怒りに満ち溢れた人という勝手なイメージがありましたが、大西さんの言葉からは、怒りはなく、理性的な印象だった。もっと皆で繋がって、困っているなら助け合おうよというシンプルな思いが伝わってきました。

 

映画所感

社会問題を真ん中に据えた映画だが、決して重苦しい映画ではない。

ユーモアがあって、心温まる人物が登場して、楽しく観ることができて。

それでいて、映画の意志(制作意図?)みたいなのをバンバン感じることができる。そういう作品は個人的に大好き。

老若男女たくさんの人に観てほしい。

多分、今見るとめっちゃ染みる、と思います。

コロナ禍に思うのは、あれ?だれも助けてくれないかも…という漠然とした不安ではないか。極端な自己責任論…今は大丈夫でも、今の会社が潰れたら?病気になったら?私たちはまともな生活を続けることができるのだろうか。みたいな…大西さんの言葉を借りるなら、世知辛いなと。

だからこそ、もっとなんか前を向けないものかね…と悶々としている私には、ぐっとくるものがありました。鑑賞後には、自分の中にある自己責任論にも否が応でも向き合うことになって、助け合いたいけど、なんで私が…みたいな感情にも目が逸らせなくなった。そういう理想だけじゃない、気持ちにも、ちゃんと向き合っていかないとな~みたいな。それこそ、アイコンタクト一つなら、少しの勇気で行動に移せるかもな…とか。

 

あとは、なんといっても、監督・脚本・主演のエミリオ・エステヴェスがいい!!

「ブレックファスト・クラブ」「レポマン」などで知られる俳優と言われても、正直私には、いまいちピンと来ない。「ブレックファスト・クラブ」は見たいと思いつつ、結果的にまだ見ていないし。でも、この作品を見てとっても好きになってしまいました。伝えたいこと、社会問題も描きながら、登場人物が温かくて、隣人を気遣っていて*1、希望や温かさを感じることができる作品。作風から、穏やかだけど気骨あるお人柄を感じるというか…うん、とにかく見てほしい☆

 

そして、真面目で勤勉な主人公のスチュアートの描き方が絶妙だった。ピザを買う時にサラダピザは買わずに、シンプルなものを買って自分でトッピングする…とかさ。なんかそういう節約まではいかない一般市民の感覚みたいなものがさらっと表現されているの、いいなって。

 

こんな世の中で、気軽に映画館での鑑賞をおススメできないのが、なんとも心苦しいのですが、やっぱりたくさんの人に、観てほしい映画です。

 

 

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*1:あ、自己中野郎も出てくるけど(笑)