コ・ローナとか、『21世紀の資本』とか、日常とか、
コロナのこと、ふざけた呼び方してすみません、『ラ・ヨローナ~泣く女~』みたいだなって。
そのうち、「そんな時代もあったねと」中島みゆき風に言えると信じ、いつか振り返る時のために、最近(2020/03/13時点)の生活ぶりについて書いてみようと思う。
・会う人会う人、コロナによって変化した生活についての話題ばかり
いや、そうなっちゃうんだけどね、どしても…。
斬新な話題欲すわ~。
そんな中でも、私の周りではちょっとしたベビーブームが到来しており、新生児に萌えたり、癒されたりしている。
こうやって、なんやかんやいいつつ次の世代に命を繋いでいくんですね…みたいなことをぼんやりと思う。
そうそう‼命を繋ぐで思い出しました‼
先日、『21世紀の資本』という映画の試写会に参加しました。
700ページにも及ぶ本が原作なだけあって、アカデミックな内容。
それでも、テンポの良い作りで、興味深く鑑賞しました。
私は、こういう授業で鑑賞するような映画は好きです。
劇中で、18時代世紀のヨーロッパは、貴族か否か、資本を持つ者、持たぬ者で、とんでもない貧富の差があった。
そんな時代は、とにかく子供が亡くなった。(貴族以外の?)平均寿命は17歳、とか言ってて、言葉を失う。
実は、近年の貧富の差が比較的少ない所謂「(アメリカ目線の)良い時代」は、第二次世界戦後の数十年だけのようで。
たまたまその数十年が、私たちにとっては身近だったというだけ。
基本的に、特権階級以外の人間は、ずーーーっと、苦渋を味わってきたと。
そして、このままだとその時代に戻りそうだよ…という内容でした。
うん、なんか感じてたし、見て見ぬふりしてたよ…と思いつつ、改めて、示されるとずしんと来る。
順調にいけば私は確実にその時代を生きることになるので、他人事ではないです。はい。
でも、ここで私が言いたいのは、これから暗い時代が来るから、覚悟しようね…とかではなくて、平均寿命が17歳の時代でも、戦争があっても、確かにその時代を生き抜いた人達がいて、その人達が、命を繋いでくれたから、今があるんだな~ってことで。
いつ、どこで生まれるか…なんて究極の運ですが、生まれたからにはその運命を受け入れて、たくさんの人が生き抜いてきた結果なんだなと思うと、なんか、生まれてきた者の生きる強さみたいなものを感じざる得なかった。
単純に人間の繁殖力とか、生命力について思いを馳せ、謎の勇気が湧いてみたり。
今もイージーモードじゃないし、今後はもっとハードモードになったとしても、たまたま同じ時代に生まれた仲間たちが世界中にいるんだということは、なかなか心強いなって。軋轢があったり、厄介なことも多いけど、心強くもあるなと。
ちなみに、試写会の前に原作者のトマ・ピケティ氏の
「700ページの原作で、理論は全て語った。しかし、その理論が私たちの生活にどう密接に関連しているかを示すために、この映画が必要だった…」
的なコメントが紹介された。
まさに、そのコメント通りの映画。
映画を見るだけでは、理論の理解は到底できない。
だけど、その理論のフィルタを通して世界を見ることで、気付くことがある。
そんな感じ。
また、映画のシーンが多数引用されているので、映画ファンは飽きずに楽しむことができそう。
近年の映画だと、「プライドと偏見」「レ・ミゼラブル」あたりが印象的。
・ブーブー言いつつ、なんか慣れてきたよ
結局そこなの。
ストレスたまるわ~とか文句たれつつ、確実にその生活に適用しつつある。
何事も、「よくも悪くも適用しちゃう。だから、途中で止めれなくなる。」を実感する日々。
最後に、コ・ローナが下火になったとしても、柔軟な通勤時間&柔軟な就業形体だけは継続してほしいな。こういうこと程、すぐ戻ったりしてしまうことも想定内にしつつ(苦笑)私はこの快適さは忘れないことでしょう(笑)
一日も早く、落ち着きますように!!